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3月11日。あの日から9年。今思うこと。

 

2011年3月11日14時46分。

あの日、僕は山形にいました。

山形市のスーパーマーケットでサークル活動のための
買い出しをしていた時、急に地面が揺れた。
テキストスーパーの棚から商品は崩れ、とっさに

神坂
これはやばい。。。

と思いました。

 

今まで僕は宮城県に住んでいて、震度6クラスの地震を
何度も経験しています。

なので、大体地震が来ても、

神坂
まあ大丈夫だろう

という感覚を持ってはいたのですが、
この時は違った。

 

地盤の硬い山形でこの揺れの大きさは、
明らかに異常。

 

ついに宮城県沖地震でも起きたのかな、
と思い、実家の宮城に電話をしましたが、
電話回線は全く繋がらず、どうしようもなかった。

 

山形市内は地震のため停電。
コンビニからは食料の買い溜めで数時間で商品が
一気に無くなった。

 

ニュースをつけると、
三陸沖で津波が起き、大勢の人が亡くなったと知りました。
実家は幸い内陸だったため、大丈夫だろう、と少しは安心しましたが、
生きているかどうかはわからない。

 

電話が繋がらないから。

 

僕のサークルの友達は親が海岸沿いに住んでいると言っていて、
うちの親も津波で、、、とすごい心配そうな顔をしていたのを
今でも忘れません。

 

震災の翌日、ようやくスマホで連絡が取れ、
僕の実家は断水や停電はあるものの、家族全員無事でした。
サークルの友達の親も無事に助かった、と連絡がありました。

 

僕のいた大学では、同じ学部のある一人の女性は、
実家に帰省中、運悪く、津波に巻き込まれ、亡くなりました。

 

その時は、現実と自分の頭の中のギャップがすごくて、
涙も出てこないというか、すごく不思議な感情だった記憶があります。

 

 

震災から数週間が経ったのち、
僕は宮城に帰り、昔よく遊びに行っていた石巻市に
車で足を運びました。
昔自分が見た景色は、どうなっているのかと。

 

 

今でも忘れません。

 

 

現地に行った時、僕の知っている街はもうありませんでした。
家は全て流され、横転した車や瓦礫がまだ残ってる。
自然の怖さをその時知りました。

 

あれから9年。
毎年この3月11日を迎えるたびに、亡くなった東北の皆様のことが
思い出されます。
今自分が生きていることへの感謝を常に心に持ちながら、
そして、亡くなった東北の皆様のことを思いながら、
明日からまた精一杯生きていきます。

 

黙祷。

 

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ABOUT US

神坂涼介登山教室講師
元建設コンサルタント、カメラマン。ブログや動画などの情報発信をしていく中で、世の中に良い情報を発信したいと思い、起業。現在は2社のWEBマーケティングを担当。 インスタフォロワー7000人突破!カルチャーセンター登山教室講師。登山(歴9年)に関する基礎知識や豆知識をオンラインで発信している。